カタカムナ学校について

カタカムナ学校訓

すべてに意味がある

学校長 吉野 信子

カタカムナ学校の学校訓は「すべてに意味がある」という言葉です。
このフレーズは、私の耳に、カタカムナの奥深くから何度も何度も聞こえてくる「声」なのです。

私はこの「声」が聞こえる度に、イメージの世界に入り、知りたい「言葉」を、思念や数霊で読み解きます。答えは、すぐに分かるときと、何かの拍子に分かるときとがあります。しかし、その意味が分かった瞬間は、例外なく言い表せない歓びに包まれます。それは、美味しいモノを食べたり、欲しいモノが手に入ったトキのような歓びではなく、あえて表現すれば、「そうだったのか!今まで生きていてよかった!」という満足感と充実感です。物事の本質が理解できる事ほど幸せなことはありません。皆さんにもこの感動を感じてほしい・・・そう願って「カタカムナ学校」を設立しました。ちなみに「すべてに意味がある」の数霊は何と「53=イミ」そのものとなります。
意味とは、発見した時にその意味を持つものなのかも知れません。

次に、もう少し具体的に、この言葉に付いて解説してみます。
先ず、カタカムナとは、一体、何でしょうか?

カタ(見えるモノ=肉体・物質)と
カム(見えないモノ=エネルギー)は、
その中心のナ(核)で統合(十)している

という意味です。カタとカムが統合(十)している中心は「ナ(核)」と言います。
音はすべて振動でできていて、同音異義語は、同じ振動を持つので「意味する本質」は同じです。つまり、ナとは、その存在「カタ・カム」の「名」を表しているのです。
その存在「カタカム」の「名前」を「カタカム名」と言っていると言い換えることができます。その存在の核が「名前」なのです。つまりその存在を表現する「名前=言葉」を意味しています。そして、その名前が書かれた核の空間は、「真名(まな)の壺」と言います。これは神道に出てくる言葉です。古代の日本人はすべてを知っていたんですね!
真名とは「真実の名」という意味ですね。

私の名前は「吉野信子」ですが、これは私を識別し、象徴する言葉です。
しかし「吉野信子」という言葉の裏には、私がどういうエネルギーを持ってどんな使命をもって生まれてきたのかという「真実の名前」が隠されているのです。
それは言葉の裏に隠された「思念」で読み解くと分かる名前です。
そして、その思念のエネルギーを「言霊」というのです。
これは人間だけではなく、すべての存在・現象をあらわす言葉に当てはまる法則です。

それでは何故、存在を表す言葉を「名前(なまえ)」というのか、皆さんは考えたことがありますか?「名前」という漢字を、素直に読み解いてみて下さい。
「名が前(まえ)にある」
これは、存在の前に名があったと言うことです。「名前=言葉」が先に存在したので、現象化してそれが存在するようになったと言っています。つまり言霊が現象化を生み出したのです。

この考え方は、新約聖書の下記の一文と全く同じです。解釈は、各宗派や教会によって様々でありましょうが、文章を素直に読んで理解してください。

新約聖書「ヨハネによる福音書」第一章:
「初めに言(コトバ)があった。言は神と共にあった。言は神であった。
この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。
できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。」

つまり、初めに言葉が存在し、その言葉によってすべてのモノができた。と言っていますね。「カタカムナ」という概念と全く同じです。この部分では、聖書は真実を語っていると私は思います。

何故なら、その名前である「聖書」という文字をバラバラにして読み解いてみて下さい。「聖書」が何のために書かれた書であるのかがわかります。聖書とは・・・

聖書→「耳」と「口」が「王」であると「書」いているモノ

となります。つまり聖書とは「耳から入って、口から出る言葉(言霊)が、最も力を持つ王である」ということを、書き現した「言霊の書物」なのです。神とは「言霊」であると言っているのです。

そしてこの一文が書いてある聖書名が「ヨハネ(48音)による福音(真名)書」というのも全く、その名(タイトル)が、内容を表しています。48音とは日本語を表しています。「福音(フクイン)」の数霊は「66」で「ココロ」と同じです。つまり「福音=ココロ」とは「思い念ずる空間」から出る音、「真名=思念」を表しているのです。

私は未だ、聖書のすべてを解読したわけではありませんが、不思議なことに、聖書は
日本語によって読み解けるのです。

説明が、学校の講座のようになってしまいました。
とにかく、このような理由で、すべてのモノには意味があると、ハッキリ言えます。
何故なら、意味のないモノはこの世に存在できないからです。

もし私たちが、すべてに意味があると信じて生きて行くとどういうことが起こるでしょうか?楽しい事はさておき、とてもつらい出来事が起こった時、その辛さがなぜ必要だったのかを考えます。そうしてその辛さには大きなメッセージがあったことに気付いたとき、あなたはもう、その辛さを乗り越えているでしょう!

なぜこうなった?と考えるとき、そこに意味を見出した時、すべての悩みも苦しみも悲しみも、「喜び」と「学び」に変えることができるのです。

そしてこの言葉「すべてに意味がある」には、すべての存在を認め、尊いとする愛が根底にあります。悪と呼ばれる存在にも、自分を鍛え、学ばせてくれる師と捉えることができる。この言葉は、善だけを「良し」とする、善悪二元論を打ち破り、世界を一つにする力を持っています。敵、味方を無くし平和をもたらします。

人生に不必要なモノや物事は一つもない。すべてに大きな意味があり、それらは私に分かってほしいと語り掛けるメッセージなのだ・・・と捉えてみて下さい。そして、なぜそうなったのか?なぜそれと出会ったのか?その意味を発見したトキ、悩みは解決しているは ずです。

意味を見出したトキ、すでに我々はそれを乗り越えています。